採かんの発達/塩浜「瀬戸内海の入浜」(近世〜昭和30年代)
入浜(いりはま)系の塩浜は、潮の干満を利用して、海水を自動的に塩浜へ導入する方式です。干満差の大きな内海や、干潟の発達した場所に多く見られました。はじめは、自然の干潟がそのまま採かん地として利用されましたが、しだいに堤防や海水溝などがつくられるようになり、塩浜としての形が整っていきました。とくに、江戸時代初期に開発された大規模な「入浜式塩田(いりはましきえんでん)」は、瀬戸内海沿岸の十ヵ国を中心に築造されて日本の製塩の主流となり、「十州塩田」と呼ばれました。以来、昭和30年(1955)頃まで約400年間にわたって、日本独特の製塩法として盛んに行われました。
◆入浜の分布
◆瀬戸内海の十州
◆入浜式塩田の構造
『大日本物産図会 赤穂塩浜の図』
(明治10年<1878>)三代歌川広重
昭和30年代の入浜式塩田