たば塩スタッフが近況やさまざまな活動について、最新情報をお届けします。
「文化財レスキューに参加しました」2013.11.29
もうすぐ師走ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
代々木公園の紅葉と青空、冷たくぴんとした空気は渋谷であることを忘れるようです。今年も公園通り沿いにイルミネーションが飾られ、クリスマスがやってくる実感がわいてきます。
博物館の向かいから、パルコ方面に向かって。
神南たば塩の前庭には、フェンスが設置されました。
休館をご存じない方はもちろん、以前の博物館をご存知の方も、前を通ったら驚かれることでしょう。
建物の中では、職員一同変わらず元気に活動しています。学芸部では、現在、今までなかなかできなかった資料整理や、収蔵庫の清掃などを精力的に行っています。また、それぞれの学芸員は、来るべき新館の展示などの準備を着々と進めているところです。
さて、たば塩ブログ第2回は、9月末〜10月初旬に実施された「文化財レスキュー」に参加したことを中心に、たば塩の復興支援に関わる活動についてお話します。
2011年に発生した東日本大震災の被害は甚大なものでした。復旧・復興、またその支援のためのさまざまな活動が行われるなか、当館では、ミュージアムショップの売り上げ(たばこを除く)の一部を、被災された博物館、美術館、動植物園、水族館の復興支援のために寄付することとさせていただきました。2011年4月1日以降、開館期間中に実施したこの取り組みについては、当館HPでもご紹介させていただいております。ご協力いただいたみなさま、改めてありがとうございました。
そして、今回ご紹介する文化財レスキューへの職員の参加もまた、当館が継続している復興支援活動のひとつです。
まず、「文化財レスキュー事業」について、少しだけご説明します。東日本大震災によって被災した文化財等の避難、応急措置を目指し、文化庁によって立ち上げられた事業で、平成24年度まで続けられました。現在は、避難した資料の修理や、収蔵場所の確保、その他復興に向けた各種事業への支援を行う「被災ミュージアム再興事業」へと移行しています(ただし、福島県については、原発事故により、旧警戒区域などこれまで立ち入りが禁止され、文化財への必要な措置ができていない地域がありました。そのため、同県については、改めて今年度より福島文化財レスキュー事業が実施されることになりました)。
これらの事業に公益財団法人日本博物館協会(*)が協力し、同協会に所属する各博物館、美術館職員を、被災地におけるレスキュー活動に派遣してきました。当館は、この協会に所属すると同時に、現在、当館学芸部長が同協会の専務理事を務めているご縁もあって、2011年のレスキュー活動開始以来、複数回にわたり学芸員が参加してきました。
博物館振興のための中核機関として、昭和3年(1928) に発足し、現在まで活動を続けています。博物館に関する諸事業の実施を通じて、博物館の健全な発達を図り、社会教育の進展に資するとともに、 我が国の教育、学術及び文化の発展に寄与することを目的に活動しています。現在、全国で約1,200の博物館、美術館、動植物園、水族館などが会員となっています。東日本大震災への対応については、義援金募集のほか、文化庁を中心とする「文化財レスキュー事業」に協力してきました。
今秋、たば塩からは、9月26日・27日及び10月3日・4日の2回にわたり、それぞれ2人が福島県双葉町、10月5日・6日には3人の職員が宮城県石巻市でのレスキュー活動に参加しました。
ここでは、私が参加した石巻市でのレスキュー活動についてご報告します。
■今回の作業の背景と目的
私たちが参加した「石巻市文化財仮収蔵施設整備作業」は、宮城県内の博物館や関係教育委員会などの機関・団体で組織される「宮城県被災文化財等保全連絡会議」が継続している活動です。
被災により、石巻市内の博物館などは、展示のみならず、収蔵施設として使用できなくなりました。それらの施設から運び出された資料を仮収蔵する場所として選ばれたのは、津波被災による周辺人口の減少で廃校が決まった小学校でした。学び舎であった小学校を文化財の収蔵施設にするためには、環境改善が必要となります。今回の作業は、すでに宮城県被災文化財等保全連絡会議が取り組んでいる同校の環境改善活動の一環として、主に教室などの片付けや清掃を行うというものでした。
同連絡会議のもと、私たちたば塩メンバー3人は日本博物館協会チームとして、この活動に参加しました。両日にわたって行った作業をだいたいの順を追ってご紹介します。
■全員集合
集合場所は、JR仙台駅でした。ここから貸切りの大型バスで、作業場所である石巻市の小学校に向かいました。
校舎内では、下足から上履きに履き替え、全員が廊下に集まりました。今回は、宮城県被災文化財等保全連絡会議、石巻市教育委員会(宮城県被災文化財等保全連絡会議にも所属)の職員、東北学院大学学生・教員、北海学園大学学生・教員、そして日本博物館協会チームからなる総勢約50名のメンバーで作業するとのことです。挨拶の後、東北学院大学チームと、社会人・北海学園大学チームとにグループ分けがなされ、作業がスタートしました。
環境改善の途上にはありますが、土足エリアと
収蔵エリア(上履き)はきっちり分けられていました。
長い廊下に集合し、作業の段取りを確認。
■机、椅子の運び出し
机や椅子などの学校備品を運び出し、資料収蔵に使用することとなった教室を空の状態にしました。人手が多かったため、教室から階段を下り、1階の廃棄物仮置き場まで並んで、流れ作業で備品を移動させました。流れ作業では難しそうな大きなものは、2人1組で息を合わせて運び出しました。後日、筋肉痛になったのは、この階段での作業によるものもありそうです。
東北学院大の学生さんたちは、この後、図書室にスペースを作るための図書の運び出しに向かい、私たちは清掃と仮配架というように作業が分かれました。
流れ作業やペア作業。階段はなかなかハードでした。
1階が運び出した備品の仮置き場でした。
■資料を収蔵する部屋の清掃
資料を収蔵する部屋の掃き掃除、拭き掃除などを行いました。小学校の教室を掃除するなど、長じてからはなかなかないことですので、不思議な心持ちでした。津波被災により水道も止まったままですので、掃除に使う水はとても貴重でした。拭き掃除で使用する雑巾は、拭く場所の汚れ具合を考えながら使用し、なるべく効率がいいように洗いました。教室の後は、廊下や階段の清掃も行いました。
さて、環境改善への取り組みが今回の作業のメインでしたが、清掃中の写真撮影はなかなか困難で、後から気づくとなんとこの1枚だけでした。もう少しご紹介できればよかったです…。
掃いたり、拭いたり、時に掃除機も使用しながら清掃。
■清掃した教室にラックを組み立て、資料を置く
組み立てたラックにエアキャップ(梱包材)で梱包されたままの資料を仮配架しました。資料の大きさ、形がさまざまであるため、スペースを有効に使えるように、ラックの棚の増設など、調整しながらの収納でした。
ラックを組み立てているところ。
棚の予備があったため、薄い資料を収納する際には増設し、無駄なく対応するようにしました。
まず、エアキャップで梱包した状態のまま資料を収めました。
■資料の開梱と仮配架
資料には、民具も多く、使っていた人たちの生活が思い浮かぶようなものが多かったです。また、中には渡波(わたのは)塩田の製塩道具も含まれていました。当館のテーマである「塩」「たばこ」に関わる資料を目にしたり、耳にしたりすると、何か前のめりになるたば塩スタッフです…。梱包を解いて、きっちりと並べた鍬(くわ)は壮観でした。
資料を梱包していたエアキャップのかさがすごいことになり、開梱を待つ資料と一緒になって、
足場も狭くなりました。しかしながら、不要になったエアキャップは、北海学園大の学生さんが
気を利かせて、次々整理してくださったこともあって、支障なく作業できました。細かなところまで
心配りできる若者に感動でした。
開梱した渡波塩田の鍬。用途によって、少しずつ形が違います。
形ごとにまとめたところ、「壮観」という雰囲気になりました。
■仮配架した資料のチェック
東北学院大学の学生さんたちは、石巻の被災博物館のレスキュー活動に継続して関わっているとのことで、資料チェックも行っていました。学生さんの間での連携もばっちりなようすで、頼もしかったです。
■お昼など…
お昼はほかほか弁当を手配していただき、温かい食事を皆でいっしょにいただきました。なんだかとっても美味しかったです。
小学校のトイレは使用できないため、近くのコンビニエンスストアなどで買い物をしつつ、お借りしました。普段、行きたいときにトイレに行けることがいかに有り難いことかを痛感しました。
昼食、休憩をとった3階の理科室。
■作業の合間に
教室の掃除中、ふと黒板をみると、子どもや先生が書いた文字がのこっていました。クラスの行事を思わせる楽しげな言葉がのこる一方で、震災後の切迫したメッセージもありました。また、1階の、津波でガラスが破損したところにはベニヤ板が張ってありました。校舎の外からそのベニヤ板をみると、子どもたちを始めとする関係者のメッセージが書(描)かれていました。学校や先生、友だちに向けてのメッセージや絵、自分たちの手形など、さまざまな記録がありました。子どもによるものでしょうか?校歌も書かれていました。ベニヤ板にかかれたメッセージは震災後のものですが、それらを読むことで、教室、廊下、校庭、すべてに子どもたちや先生が確かに生活していたのだという実感がわき、胸が詰まりました。
■おわりに
さて、私は広報を担当していていることもあって、これまで文化財レスキューにもなかなか参加できないまま、月日が経ってしまいました。震災後間もなくから行われたレスキュー作業は、瓦礫、土砂などに埋もれた資料を避難させ、洗浄などのクリーニングを施すという、とてつもなく大変な作業でした。また、今回、仮収蔵場所となった小学校にしても、津波被災後の姿は想像をはるかに超えるものだったでしょう。宮城県被災文化財等保全連絡会議をはじめ、関わった方すべてが今日まで継続して活動してきたことが、今回の作業につながっています。私が今回参加した活動は、本当にその一端でしかありませんが、それでも、被災地の施設、被災文化財、また、それらに関わり汗を流す地元の方々を目の当たりにしたことで、ほんの少しではありますが、被災地域の文化財レスキューの現場を実感しました。
2日間、仙台から石巻までこの貸切りバスで移動しました。大変お世話になりました。
作業を終え、石巻から仙台駅への道すがら、車窓には海が広がっていました。その日の海は穏やかでしたが、震災が残した爪痕があまりに大きいこと、2年半以上経った現在でも、復旧・復興が道半ばであることなど、思いがめぐりました。今、町がここまでの形になるまでに、地元の方をはじめたくさんの方のとてつもない尽力があったことを思うと、言葉にはできない思いがあふれます。たった2日間の参加ではありましたが、被災文化財、施設を通して震災というものを改めて感じ、何かできることがあれば継続したいと強く思いました。
今月のブログは、外部での活動の話が中心となりました。なかなかご紹介する機会はありませんが、学芸員をはじめ、当館スタッフも博物館関係、文化財関係など、外部との連携は数多くあります。これからも折りにふれ、ご紹介していきたいと思います。
年末に向かって何かと慌ただしい雰囲気に包まれるかもしれませんが、風邪などを召されませぬよう、お身体を大事になさってください。(Y・H)