高梨 浩樹(学芸員)
* はじめに *
「世界の塩資源」「日本の製塩技術史」といった常設展示の中心テーマだけでなく、塩担当の学芸員としては、人間の生命や生活を支える「塩のはたらき(役割・機能)」にも大きな魅力を感じています。しかし、「役割」や「機能」は、「色」や「形」とは異なり、一目で理解するのが難しいという性質があります。そのため、資料の形や色といった「視覚」を扱うのが得意な博物館というメディアでは、モノを主体にして「塩のはたらき」を語るような展覧会がなかなかできませんでした。
その中にあって、色彩豊かな紋様を織り込んだ「西アジア遊牧民の塩袋」は、見てもおもしろく、遊牧生活を支える塩についても語ることができる好資料だと考え、当館でも十数点の塩袋を収集しました。当館所蔵の塩袋は、実用目的で制作されたとは思えない新しいものが多いですが、なかには1960年代以前の良品も含まれています。今回のWEB企画展では、染織ではなく塩を担当する学芸員の立場から、日本では馴染みがうすい「西アジア遊牧民の塩袋」を紹介しつつ、遊牧生活に不可欠な「塩のはたらき」を紹介します。
* 西アジア遊牧民と塩袋 *
遊牧は、雨が少なく、農産物が育たないような地域でみられる生業です。単なる牧畜ではなく遊動を伴うのは、雨のあと一時的に植物が生える場所を求めて、家畜(草食動物)とともに移動するからです。遊牧民は世界各地の半乾燥地でみられますが、専用の塩袋を作るのは、イラン・アフガニスタン・パキスタンにかけて展開するバルーチ族やカシュガイ族、クルド族をはじめとした西アジアの遊牧民だけのようです。遊牧民は、絨毯やキリムのような敷物、家財道具を収納・運搬する袋、テントといった日用品も畜産物で作りますが、塩袋もそれら日用品と同様に、羊毛を主体とした毛織物で、特徴的な凸字形をしています(この形の意味は、塩の機能とともに最後にご紹介します)。これらの塩袋は、イランでは「ナマクダン」と呼ばれ、絨毯やキリムほどではありませんが、欧米を中心にコレクターもいる民族工芸品です。