
明治のたばこ商たち
◆たばこ宣伝合戦
明治の中ごろから、たばこ産業は、大都市を中心に、問屋制手工業から、工場制手工業へ、そして、機械制工業へと移行しました。生産力が向上すると、たばこ商に資本が蓄積され、近代的な会社形態をとる者も現れるようになりました。
こうして成長したたばこ商は、より多くの商品を販売するために、あらゆる媒体を利用して猛烈な宣伝合戦をくり広げました。特に、東京の岩谷(いわや)商会と京都の村井兄弟商会の宣伝合戦は有名です。
*天狗の岩谷
「天狗たばこ」で知られる岩谷松平(いわや まつへい)の岩谷商会は、国産の葉たばこを原料とした口付たばこを主力商品としていました。建物・馬車そして服まで赤く装い、自ら、「広告の親玉」、「安売りの隊長」、「東洋煙草大王」と称し、「勿驚(おどろくなかれ)税金たったの五十万圓」「慈善職工三萬人」(共に数字は年々増加させた)など、いささか誇大広告的なキャッチフレーズを看板やポスターに多用していました。
- 岩谷松平(1849〜1920)
- 岩谷商会のパッケージ(明治20〜30年ごろ)
- 岩谷商会宣伝ポスター(明治33年ごろ)
岩谷商会店舗(明治30年ごろ)銀座三丁目
岩谷商会銘柄看板(明治30年ごろ)
*ハイカラの村井
村井吉兵衛の村井兄弟商会は、輸入葉たばこを原料に欧米の最新技術を導入して製造した両切たばこが主力商品でした。「サンライス」「ヒーロー」など横文字の名をつけ、包装を洋風化し、人気を得ていました。印刷にも技術導入が行われ、当時としては、とても斬新(ざんしん)なポスターやたばこカード(おまけとしてパッケージに入れた)を媒体として宣伝活動を行っていました。
- 村井吉兵衛(1864〜1926)
![]()
|
![]()
|
![]()
|
村井兄弟商会宣伝隊(明治30年ごろ)