専売の時代(戦後)
◆一日三本
昭和20年(1945)、長かった戦争は日本の敗戦という形で終結しました。たばこは、当時困窮した国家財政にとって、税収の約20%を占める重要な財源でした。しかし、戦災で半数の工場を失い、極端な品不足が続き、配給のたばこも終戦直後には一日三本という状況でした。それでも、戦後の虚脱感と苦しい生活のなか、たばこは人々がやすらぎを得ることのできる数少ない嗜好品(しこうひん)で、ヤミ市では私製の手巻たばこや進駐軍横流しの外国たばこが出回っていました。
- 太平洋戦争末期から敗戦直後にかけての喫煙資料
◆復興のささえ
戦後の混乱のなかにも、復興の足音は確実に聞こえてきました。たばこ産業も立て直しが進み、昭和24年(1949)には日本専売公社が発足し、新しい制度の下で戦後の発展を遂げました。昭和25年(1950)には、たばこの割当配給制度も廃止され、新しい銘柄が次々に登場し、復興と高度成長を支える人々に親しまれました。宣伝用のポスターも多く作られ、「今日も元気だ たばこがうまい!」という名コピーも生まれました。
- 「今日も元気だ たばこがうまい」のコピーが使われたポスター
- (昭和32年)
◆フィルターの時代
昭和32年(1957)、国産初のフィルター付たばこ「ホープ」の登場をきっかけに、フィルター付紙巻たばこが主流になっていきました。日本の社会も、高度成長期を経て、大きく方向転換をしていきました。量より質、個人のゆとりが大切にされるようになり、ライフスタイルも多様化しました。そして個人的な嗜好の多様化に対応し、さまざまな特徴を持つ銘柄が数多く作られる時代になりました。
- 国産初のフィルター付たばこ「ホープ」のポスター
- (昭和32年)
◆新たな時代へ
明治37年(1904)以降、近代から現代に至る日本の歴史とともに歩んだたばこの専売制度は、昭和60年(1985)4月、日本たばこ産業株式会社の発足とともに、その歴史的使命を終えました。自由経済に向かう世界的な流れのなかで、たばこも世界市場で活躍していくために、民営の会社が扱う商品として新たな一歩を踏み出しました。一方、情報化が進み、慌ただしさを増す社会のなかで、たばこは嗜好品(しこうひん)としての役割を担いながら、新たな文化の創出が求められる時代となりました。
- 「日本たばこ産業株式会社 誕生」のポスター
- (昭和60年)